遊 旅人 の旅日記
深川から春日部へ | |||||||||
朝、5:20 宿を出発。いよいよ出発だ。天気はすばらしい五月晴れ。気持ちのよい朝だ。すべてが門出を祝ってくれているようだ。東京下町の、早朝の誰もいない、しっとりと落ち着いた町並みの風景がすばらしく良い。清澄通りを北上、両国国技館、江戸東京博物館、東京都慰霊堂前を通り、蔵前橋を往復し橋の上から隅田川の上流と下流の景色を眺め、吾妻橋で隅田川を浅草側に渡り浅草寺に正面の雷門から入る。人がほとんどいないため仲見世から宝蔵門、本堂までずーと見渡せる。今日は旅の安全、健康、全行程無事踏破できるようしっかりと祈願する。雷門横の食堂で朝食をとる。 浅草寺と松屋デパートの間の道(馬道通り)を北上、しばらく歩くとR4に合流。常磐線の陸橋を超えると千住大橋が見えてくる。芭蕉は深川からこの千住まで舟で上ってきている。当時は舟が重要な交通手段だったのだろう。上陸したと思われる場所は今、小さな公園になっており、「矢立の碑」「奥の細道行程図」がある。改めて全行程を目でたどり、行く先々に思いを馳せる。 ちょうどラッシュアワーの時間のためものすごい車の交通量だ。荒川を千住新橋で渡る。川下にいつも利用している東武電車の鉄橋、正面には、これまたいつも利用している首都高速川口線の高架が見える。まだ朝にもかかわらず、リュックを背負っているためかなり暑い。川面を渡ってくる風が気持ち良い。 9:15足立区役所で小休止。役所内で血圧計を探したが見つからない。血圧は常に要チェック。R4をさらに北上。竹ノ塚駅付近を過ぎると急に建物が低くなる。都心から離れたなと感じさせられる。10:17毛長川という川があり、この川がここでは東京都と埼玉県の境になっている。道沿いに「草加せんべい」の店が並んで見られるようになる。10:55草加市役所で休憩。芭蕉は「奥の細道」の中で「其日漸ゝ 草加と云宿にたとりて・・・」と記しているため一説では、ここで一泊したとする説もあったらしい。私も初日のため、あまり無理をしないようにと草加に宿を取ってしまった。しかしまだ昼前だ。パソコンを出しインターネットで春日部の宿を探し携帯で予約をする。改めて春日部に向け出発。 浅草を出た頃からリュックのストラップが両肩に食い込んでびしびしと痛む。両腕が真っ赤になりパンパンに張ってしまった。リュックの調節がうまくできていないのだろうか。 しばらく行くとR4と綾瀬川が平行して走るようになる。川沿いは松並木の公園になっており、手前に望楼と芭蕉の像がある。札場河岸公園である。すぐに大きな橋「矢立橋」が見えてくる。橋の一番高いところから景色を見渡す。松並木と綾瀬川と橋の調和が大変良い。もうひとつの橋が「百代橋」。昔の日光街道を再現しているのだ。太陽がかんかんに照り暑さも増し、建物の日陰がなくなってしまい、かなり厳しくなってきた。 越谷市民会館で休憩。会館の後ろが水辺の公園になっており、川面を渡ってくる涼しいそよ風にあたり生気を取り戻す。3:30せんげん台の駅で小休止。水分を補給。駅から高校生があふれ出てくる。途中のコンビ二エンスストアで春日部までの距離を聞くがまだかなりの距離があるといわれる。現代の人の感覚では時間も距離も基準が「車」なのである。「10分くらい」といわれるとおよそ8〜10km、歩くと2時間かかる。気をつけて話を聞かなければいけない。 鉄道のガードをくぐってしばらく行くと道が3方向に別れる。R4と左駅に向かう道の間に「東陽寺」がある。ここが芭蕉の一泊目の場所とされ「芭蕉宿泊の寺」の碑があり、また「曾良日記・ 二十七日夜、カスカべニ泊マル。江戸ヨリ九里余」と書かれた碑がある。 今宵の宿にTELをして場所を確認し最後の力を振り絞り歩く。PM6少し前に宿に到着。今日は突然宿泊をお願いしたため夕食は外食。食事を済ませ帰ってきて風呂を浴び体の筋肉をほぐす。今日は初日、ちょっと歩きすぎだ。無理をしない様自分に言い聞かせる。若女将と「歩いて旅を始めた」ことを話す。たまに歩いて旅行をしているという人が泊まることがあると言う。いろいろ気を使ってくれた。ありがたい。 二日目の明日は古河まで歩こう。芭蕉は間々田まで歩いている。春日部から37〜40kmあるだろう。自分にはちょっと無理だ。また宿泊するところもない。古河に宿をとる。 「奥の細道」一人旅 第一日目は春日部に泊まる |
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おくの細道 | 曾良日記 | ||||||||
弥生も末の七日元禄二とせにや 明ほのゝ空朧々として月は有 あけにて光おさまれる物から富士の峯かすかに見えて上野谷中の花の梢又いつかはと心ほそし むつましきかきりは宵よりつとひて 舟に乗りて送る 千しゆと云処にて舟をあかれは前途三千里のおもひ胸にふさかりて 幻のちまたに離別の涙をそゝく 行春や鳥啼魚の目は泪 これを矢立の初として行道猶すゝます 人々は途中に立ならひて後かけの見ゆるまてはと見送るなるへし 此たひ奥羽長途の行脚たゝかりそめにおもひ立ちて呉天に白髪の恨を重ぬといへとも耳にふれていまた目に見ぬ境 若生て帰らはと定めなき頼の末を楽て其日 漸々草加と云宿にたとりて痩骨の肩にかゝれる物先くるしむ 唯身すからにと拵出立侍るを紙子一衣は夜ル臥為と云 ゆかた雨具墨筆のたくひあるはさりかたき花むけなとしたるは さすかに打捨かたく日々路頭の煩となるこそわりなけれ |
巳三月二十日、同出、深川出船。巳ノ下剋、千住ニ揚ル。 二十七日夜、カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余。 この日記の出だしの日の記述は不思議だ。三月二十日に深川を出て、その日に千住に上陸している。 そして次の記述が、「二十七日に粕壁に泊まる」となっている。出発の日の記述の間違いか、又深川に一週間滞在していたのか。まだはっきりと解明されていないようだ。 |
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よりみち | |||||||||
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水上バス 浅草から隅田川をくだり、浜離宮、日の出桟橋までいっている。数々の橋をくぐり、東京の街を舟の上から眺められる。日の出桟橋で乗り継ぎ、お台場、船の科学館、晴海、ビッグサイト、葛西臨海公園、などにも行くことができる。最近は宇宙船のような形をした船も運行している。 草加せんべい せんべいと言うとすぐに頭に浮かんでくるのが、草加せんべい。R4を北上、草加市に入ると道沿いにせんべいの老舗が立ち並んでいる。発祥は戦国時代(?)、江戸の初期(?)と古い。武士が戦場に行くときの携行食、保存食にしたのが始まりという。このように歴史のある、また長続きする特産品はいろいろな条件が整はないと成り立ってゆかないと思う。当地は、良い米が取れ、良い水があり、近くに良い醤油の産地があった。それと携行食、保存食として考えたアイディアがあった。それが300年、400年たっても親しまれ、好まれ続ける要因であろう。 |
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お休処 | |||||||||
今日は、初日。予行演習も、リュックを背負って歩く練習も、何もしないでぶっつけ本番で歩き始めてしまった。自分の体力、歩くペース、休憩、トイレなど、全く行き当たりばったりの出発であった。おまけに宿泊の場所も草加から春日部に変更してしまった。しかし初日は無事歩きとおした。曾良が「カスカベヘ、江戸ヨリ九里余」と書いているが、もうこの頃の距離の計測は、ほぼ正確だ。曾良が江戸の何処を起点にしているかは定かではないが、35〜6km歩いたことになる。草加に入って市役所で休む前、R4、「草加せんべい」の店が立ち並んでいた辺りがかなりきつかった。店に立ち寄って「せんべい」の情報を得ようとしたが、早く休みたいとの気持ちが勝り、情報を得ないまま、市役所に直行してしまった。この時、頭の中は、余分なことにエネルギーを使わないで、「奥の細道」を忠実にただ歩くことに専念せよ!との思考、気持ちに支配されていたのだった。初日で早くも「奥の細道」の「周辺の名所旧跡・物産も見聞して歩こう」という主旨は崩れてしまった。 |
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台東区公式ホームページ http://www.city.taito.tokyo.jp/ 草加市公式ホームページ http://www.city.soka.saitama.jp/ |
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム | ||||||||
一人旅 門出を祈る 浅草寺 (遊 旅人) |